日本イヌワシ研究会の活動とイヌワシの現状

日本イヌワシ研究会第3代会長 小澤 俊樹

日本イヌワシ研究会

研究会発足の話をする際、当会永久名誉会員の重田芳夫さんの名前をなくしては語れない。

重田さんは兵庫県で海運会社を営まれていた方で、1963年に中国山地で初めてイヌワシを目撃して以来、その後の人生全てをイヌワシの生態研究にかけた方である。同時にイヌワシに関心を持つ研究者のネットワークを構築し、各地から寄せられた観察情報をその信頼できる仲間たちと共有し合った。

残念ながら重田さんは1978年に61才で他界されてしまったが、その重田さんの想いや志を受け継いだ、各地のイヌワシ研究者がイヌワシを識別できる30名の観察者を全国から集め、「イヌワシの活動する朝から夕方まで100%目撃追跡すること」を目標に、1980年4月滋賀県の鈴鹿山脈に集まった。これが全国初のイヌワシ合同調査である。この合同調査は、高い観察レベルを持った調査者を広大なイヌワシの行動圏内に配置し、無線によるリアルタイムでの情報交換でイヌワシの行動を追跡するという世界でも初めての試みであり、予想を超える成果が得られた。

その後2回の合同調査を経て「日本のイヌワシの生息数と生態を明らかにするには各府県単位では限界がある。状況は年々悪化しており、早急に科学的データに基づく保護対策を構築しなければならない。それにはイヌワシ専門の調査・研究を行う全国組織をつくり、イヌワシ研究に携わる者が情報交換を行い、日本全体の生息実態を解明する必要がある。」との意見のもと、1981年5月3日、奈良での合同調査期間中に規約を制定し、参加者全員一致で「日本イヌワシ研究会」は発足した。

研究会の活動は、生息が不明な地域や調査者が不足している地区を中心に行う「合同調査」、全国の生息数と繁殖状況を明らかにする「全国イヌワシ生息数・繁殖状況調査」、調査・研究の成果を発表する機関誌「Aquila Chrysaetos」の発行を基本事業としている。さらに、会員同士の情報交換・勉強会の場としてのシンポジウムの開催など、研究会発足以前からイヌワシに携わってきた先輩会員の志と共に、30年間に渡って継続して行われてきている。

こういった高い志は、日々の会員の調査や啓発活動にも受け継がれ、イヌワシとその生息地の保全活動のぶれない原動力となっている。

イヌワシの現状

30年間に渡ってイヌワシという単一種を調査・研究し続けてきた日本イヌワシ研究会では、全国に生息するほとんどのイヌワシの生息場所とその状況をモニタリングしてきている。イヌワシは全国に150~200ペア約500羽が生息している。その数は年々減少しており、国内でも有数の生息数を誇っていた石川県や富山県では、20~30年前の1/4程度までに激減している。

また、研究会発足当初の1980年頃は50%を超えていた繁殖成功率も、近年では20%前後にまで落ち込んでいる。しかもこの間、消滅してしまったペアが全国で70ペア以上いることを考えると、この数字はより深刻な事態として捉えなければならない。こういった現在の危機的な状況が把握されているのも、30年間継続してきた調査・研究があったからに他ならない。

森林国日本に生きるニホンイヌワシ

イヌワシのペア消滅や繁殖成功率の低下は、多くが餌不足によるものだと各地の会員より報告されている。イヌワシの主な餌動物はノウサギやヤマドリ、それにヘビなどが挙げられるが、それ以外にも多様な動物種を餌資源とする。従って、一様なスギ・ヒノキなどの人工林が多くを占めるような環境では、イヌワシが生息することは困難であり、自然界に起きる様々な年変動にも対応できる多様な環境が必要とされる。

イヌワシの生息に必要となる多様な環境は、生物の宝庫である原生林だけでなく、日本人の生活に根ざしてきた薪炭林などの二次林や人工造林にも見ることができる。しかし、昔から連綿と続く森林の利用形態も、戦後の急激な燃料革命や安い外国材の輸入などにより一変した。現在、国内の多くの人工造林は手入れされることなく放置され、その暗くうっぺいした林内は、イヌワシの餌動物にとっても餌資源が乏しいため棲みづらく、同時に狭い空間での狩りを得意としないイヌワシにとっても、狩場としての利用価値が低いと言わざるを得ない。

世界的に見れば、イヌワシは開けた空間を好む草原性のワシである。しかし、国土の7割を森林が占めるこの日本に生息するニホンイヌワシは、森林を継続利用してきた我々日本人の生活と共にその変化にわずかながらも適応し、生き抜いてきた希少な亜種である。この森林国に生息する世界的に見ても貴重なニホンイヌワシと、その多様性に富んだ質の高い環境を後世に遺すためにも、我々日本人がもう一度、森林資源の有用性を探り、そして利活用について考える必要があるのではないだろうか。

2012年9月23日
「第17回山階芳麿賞」記念講演要旨