巣賀谷

このお話は滋賀県の湖北地方に伝わる昔話です。滋賀県浅井町のご厚意により、「浅井の昔ばなし」から転載させていただきました。

いまからざっと百年ぐらい前までは、須賀谷は「巣賀谷」の字を使うたものだそうな。 この須賀谷の一番奥の尾根を、中尾というて、そこには高さ三十間(六〇メートル)横三〇〇間(六〇〇メートル)の、 それこそ目のまわるような大きな岩の壁がそびえている。 むかし、その南寄りのひときわ目立つ切り立ったような大岩に、それはそれは大きな鷲(わし)が巣をかけたそうな。

五先賢の一人、片桐且元公もこの地で生まれられたが、この人の父親が、あるときの戦に、 この大鷲の巣を仰ぎ見て「これは吉祥ぞ!」と勇んで出陣され、大勝を得られたそうな。

その喜びを、巣を賀すとして巣賀谷となされたそうな。

それがいつの間にやら須賀谷となってしもうた。

氏神の神明様には、古い古い欅(ケヤキ)やら桧(ヒノキ)の大木があったが、それもいまはなくなってしもうた。

この里の古いことを物語るものも、だんだん姿を消していってしまう。

淋しいことよのうー。

滋賀県浅井町教育委員会編「浅井昔ばなし」(昭和55年3月発行)より転載